私はスポーツを観るのが好きではありませんでした。それよりも自分でやる方が好きでした。幼い頃、テニス、水泳、バレエ、フィギュアスケート、ラグビー、ネットボールと、あらゆるスポーツに挑戦しました。そして、バスケットボールに出会った時、これこそが自分にぴったりのスポーツだと感じました。バスケットボールは最高のスポーツです。
私のスポーツヒーローはマイケル・ジョーダンでした。でも、プレーしている時はデニス・ロッドマンに似ていると思います。セリーナ・ウィリアムズにも似ていると思います。見た目もそうですが、スポーツに対する粘り強さでも、彼女と比較されたことが何度かあります。
私はウェールズ代表としてプレーし、グレートブリテン(GB)の代表も務めました。2019年の夏には、ヨーロッパ選手権にも出場しました。その頃、セルビアやイタリアなどの国のチームから多くのオファーを受けていましたが、大学を卒業したらアメリカでプレーするつもりでした。しかし、その後に受けた手術が失敗に終わってしまったのです。
13日の金曜日に入院しました。予定では簡単な手術のはずでした。最初は全てが順調だと思われていましたが、足の血流に問題が発生しました。2週間の間に5回の手術を受けました。当時、私は16歳で、本当につらい毎日でした。
その痛みは普通の痛みではありませんでした。それは、神経性の痛みで、今でもその痛みがどれほどひどいかを人に説明することは難しいです。眠れず、食べることもできず、Netflixを見ることさえできませんでした。人々が話していることをほとんど理解できないほど、痛みがひどくなりました。今は当時ほどの痛みはありませんが、まだ残っています。私はその痛みに慣れてきたところです。
神様には私のための計画があったのです。私はいつも、自分が平凡な人生を歩むことはないと感じていました。たくさんの成功と偉大さを手に入れることができると分かっていました。バスケットボールがその道を切り開いてくれると思っていました。しかし、神様には別の計画があったのです。
障害者スポーツが新たな扉を開いてくれました。私は、アンソニー・ヒューズ氏(コーチでありアスリート、ウェールズのパラスポーツの発展に重要な役割を果たした人物で、2022年に死去)を紹介されました。当時、私はまだ精神的にぜい弱な状態でしたが、「何もしないで泣いてばかりいるわけにはいかない」と思いました。その日にコーチのジョシュ氏にも出会い、すぐに彼らは「よし、砲丸投げと円盤投げだ」と言いました。私は大柄で、身長6フィート(約183センチメートル)ありますし、体重は言いませんけど(笑)。だから、明らかに投てき競技が適していました。
自分がどれほど優れているかはわかりませんでした。もしわかっていたら、コモンウェルス・ゲームズに出場していたでしょう!でも、チームスポーツから個人競技に転向するには、自分のレベルを測る必要があります。アンソニー氏は私が成功することを見抜いていました。彼が亡くなった直後に、私の周りでいろいろなことが動き始め、私は「そうだ、彼の予想通りだ」と思いました。
初めての世界選手権はうまくいきませんでした。円盤投げで6位、砲丸投げで4位に終わり、メダルに20cm差で届きませんでした。一番悔しかったのは、自分がもっと良い結果を出せることを分かっていたことです。だから今は、パラリンピック(2024年パリ大会)に向けて取り組んでいます。今回は、メダルの有無に関係なく、自分のベストパフォーマンスができることを願っています。もしメダルが取れなくても、それで落ち込むことはありません。この競技を始めてまだ2年ちょっとですが、パラリンピアンになれるかもしれないのです。それに対して文句を言う人はいないでしょうし、私はまだ20歳です。これからもっと成長していけるチャンスがたくさんあります。
障害者スポーツでは本当に信じられないような話を耳にします。驚くべき話です。人々の物語を本に書けるくらいで、それぞれが全く違うものになるでしょう。同じ障害を持っていても、その影響は人それぞれで異なります。誰もが異なる旅路を歩んでいるのです。
ウェールズは障害者スポーツが非常に強いです。ウェールズ障害者スポーツ協会(Disability Sport Wales)は、障害者スポーツを広く伝えるために素晴らしい仕事をしてきました。それはウェールズに強い影響を与え、多くの障害を持つ人々を助けてきました。どんな種類の障害であれ、障害を抱えて成長するのは非常に困難なことです。学校中で障害を持っているのは自分だけかもしれません。しかし、同じような境遇の人々と一緒にいることで、社会的な側面が非常に大きくなることもあるのです。
私は偶然にモデルになりました。ウェールズで大柄な黒人女性として成長する中で、私は自分に自信がありませんでした。同じような人はあまりいませんし、控えめに言っても自分を魅力的とか美しいとは思えませんでした。ある日、ナンドス(Nando’s‐レストラン)で自分のことに集中していた時、1人の男性が私をじっと見ているのに気づきました。私たちが立ち上がろうとしたとき、その男性も同時に立ち上がりました。私は「今までケンカをしたことがないし、今からもしたくない。」と思いました。でもその男性は、「私はモデル事務所に所属していて、あなたとあなたの友人は、まさに私たちが探しているような外見を持っています。」と言いました。彼は今の私のエージェントで、それ以来ずっと、モデルをしています。
自分の仕事を愛しているのなら、文句は言えません。アスリートのライフスタイルこそ、私がずっと楽しみにしていたものです。それは名誉なことです。私は人生で最もストレスの多い数年を経験しましたが、もう自分を追い詰めたくありません。今は楽しんでいます。成功は単なるボーナスにすぎません。