ニューヨーク70年代のサイケデリック文化革命最前線で活躍した日本の「ポップアートの父」田名網敬一氏。
その多作な作品群は、モンキーズやジェファーソン・エアプレインなど、世界中の著名なミュージシャンとのコラボレーションを生み出しました。
1960年代から1970年代にかけて、多くの象徴的なアルバムカバーを手がけ、その作品は世界中で注目され、数多くのアーティストたちからコラボレーションのオファーを受けることとなりました。
田名網氏は音楽家たちとの仕事を通じて、ウェールズと深い繋がりを持つことになりました。
彼がウェールズの象徴的なオルタナティヴ・ロックバンド、スーパー・ファーリー・アニマルズとパートナーシップを結び、彼らが彼のデザインに魅了されたことがきっかけです 。
1993年にカーディフで結成されたスーパー・ファーリー・アニマルズは、90年代のクール・カムリ(ウェールズの音楽シーン)の中で、最も革新的で影響力のあるバンドのひとつとなり、ウェールズのバンドやアーティストが国内外で大きな注目を集めた時代の象徴的な存在となりました。
サイケデリック・ロック、インディー、エレクトロニカ、ポップなど、さまざまなスタイルを取り入れた音楽で知られるスーパー・ファーリー・アニマルズは、実験的な音楽と親しみやすいメロディを融合させ、パフォーマンスにおけるアート性を加えた独自のサウンドを確立しました。
2005年には、NME誌が「スーパー・ファーリー・アニマルズは過去15年間で最も重要なバンドだと主張できる」と記し、アメリカの音楽誌ビルボードは彼らを「当時最も想像力豊かなバンドのひとつ」と評しました。
スーパー・ファーリー・アニマルズのリードシンガーであるグリフ・リースは、バンドがどのようにして田名網氏の作品に魅了され、彼を日本で追いかけたかについて語っています。
「彼が何歳かも、生きているのかもわからなかったけど、私たちは彼の作品の大ファンで、なんとか会いに行ったんだ」とリースは言います。
「そして、信じられないことに、彼は私たちのためにアルバムカバーを作ってくれたんだ」。その結果が、アルバム『Hey Venus!』のジャケットでした。
バンドには以前から日本的な要素が強く影響していました。これまでのアルバムのカバーアートは、動物、民話、神話、そして超自然的なテーマにインスパイアされた作品を手掛けるウェールズのアーティスト、ピート・ファウラーによってデザインされており、ファウラーの作品は日本のアートから強い影響を受け、彼は何度も日本を訪れていました。
ファウラー自身も、次のアルバム『Dark Days/Light Years』のカバーアートを手掛けるにあたり、田名網氏とコラボレーションする機会を得ましたが、このアルバムが、最後のコラボレーション作品となりました。というのも、田名網氏は2024年8月に急病により他界したからです。
その訃報は、アートコミュニティを超えて世界中から深い悲しみと追悼の声を集めました。
追悼の中には、田名網氏のウノカード、マジック8ボール、さらにはバービー人形などが含まれ、これらは彼がアートを通じて世界中にどれだけの喜びをもたらしたかを示すものでした。その喜びは特にウェールズで深く感じられました。
2024年10月には、カーディフのセントラル・スクエアに謎の黒いコンテナが登場しました。このコンテナは、訪れる人々を一つの首都から別の首都へと移動させるもので、プロジェクト『アンダー・ネオン・ロンリネス』の一部として展示されました。
このアート作品は、ウェールズのアーティスト、マーク・ジェイムズによるもので、マニック・ストリート・プリーチャーズの曲『モーターサイクル・エンプティネス』の東京で撮影されたミュージックビデオや、ジェームズ自身の日本の都市の明るいネオンの思い出に触発されたものです。
スーパー・ファーリー・アニマルズとマニック・ストリート・プリーチャーズは、いずれもこれまでに日本で数多くの公演を行っており、大阪や東京のクラブ・クアトロなどのライブハウスから、フジロックフェスティバルのような大規模なイベントに至るまで、多くのステージでパフォーマンスを披露しています。