幾百ものウェールズの神話や伝説が、何世紀にもわたって受け継がれてきました。多くは実在の人物の物語で、その他にも神話的な起源をもつものなどがあり、どれも魅力的です。私は4年の歳月をかけて、こうした物語を楽しみながら探求しました。私が調べた中で特に面白かった、いくつかの物語を紹介しましょう。
よく歩かれた道
19世紀のこと、エライアス・オーウェン牧師はウェールズ中を巡回する学校監査官でした。彼は各学校を訪問する度に、その村で最も年配の人物に会うための案内を頼み、時には小さなランタンを手に、悪天候の中、人里離れた小屋に向かいました。その目的は、口承で伝えられてきた古い物語を収集し、忘れ去られる前に書き留めることでした。1887年に彼は、ロンドンで開催されたナショナル・アイステッドヴォッドでその随筆を発表し、銀メダルと20ポンドの賞金を獲得しました。エライアス・オーウェンは執筆を続け、1896年には『ウェールズ民話集 —北ウェールズの民話と伝説のコレクション(Welsh Folk-Lore - A Collection of the Folk-Tales and Legends of North Wales)』を出版しました。
アーサー王—ウェールズの戦士であり民族の英雄
オーウェンは古代の物語を書き留めた最初の人物ではありません。1136年に出版されたジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史(The History of the Kings of Britain)』には、アーサー王と、ウェールズのカーマーデン出身の魔術師マルズィン(マーリンとしても知られている)が登場します。13世紀にウェールズ語で書かれた『カーマーデンの黒本(Black Book of Carmarthen)』は、装丁の色からその名が付けられ、ここでも偉大な戦士であり民族の英雄であるアーサーについて語られています。この書物は、ウェールズ語だけで書かれた現存する最古の写本の一つで、ウェールズ中部のアベリストウィスにあるウェールズ国立図書館に所蔵されています。アーサー王については、私のアーサー王のページでさらに詳しく読むことができます。
『カーマーデンの黒本』に収められた詩や物語には、他にもウェールズの伝説の人物が登場しています。美しい羊皮紙の頁の中には、冥界の王、グウィン・アプ・ニーズ(Gwyn ap Nudd)の姿もあります。彼はカダイル・ベルウィン(Cadair Berwyn)の山に住み、その山頂にあるモイル・スィーフ(Moel Sych)は彼の玉座でした。彼の王国は、冷たく不毛な地で、悪臭を放つ沼地、邪悪な毒蛇、そして悪魔たちで溢れていました。そこは死者の国であり、生きている者がめったに訪れることのない危険で荒涼とした場所でした。
カントレル・グワェロッド—ウェールズの失われた地
他の詩では、セイセニン(Seithenyn)とグウィズノ・ガランヒール王(King Gwyddno Garanhir)が統治する裕福な王国、カントレル・グワェロッド(Cantre'r Gwaelod)の沈没の物語が語られています。セイセニンのワイン、食事、そして饗宴への執着が王国を破滅に導き、今日カーディガン湾と呼ばれる海の波間へと消えてしまいました。干潮時には、ウェールズ中部の村、ボース(Borth)のビーチで、カントレル・グワエロッドのものだと言われる化石化した木の切り株を見ることができます。この伝説については、BBCウェールズの歴史ウェブサイトでさらに詳しく知ることができます。
ランデグラの精霊
ほとんど全ての町、村、城、湖には、語り継がれている伝説があります。たとえば、北ウェールズの村ランデグラ(Llandegla)では、川底に埋められた精霊が木の牢獄に閉じ込められたままでいることを確かめるため、村の子供たちが木の枝を切り落とすという風習が今でもあります。この物語については、私の「ランデグラの精霊」のページでさらに詳しく読むことができます。
オワイン・ラウゴッホ
さらに南に向かうと、ブラックマウンテンの崖の上に威風堂々とそびえ立つ雄大な城、カレッグ・ケネン城(Carreg Cennen Castle)があります。この城は、あるウェールズの王子が眠っている場所だと言われています。この眠れる王子の伝説は何度も語り継がれてきましたが、オワイン・ラウゴッホ(赤い手のオワイン)は伝説ではありません。彼は14世紀のウェールズで生まれた、本名をオワイン・アプ・トマス・アプ・ロドリ(トマスの息子でロドリの孫)という人物で、その血筋はグウィネズの王ルウェリン大王(Llywelyn the Great)にまで遡り、正当な「ウェールズ公」の称号を主張することができました。オワインはフランスの雇われ傭兵でしたが、フランスの将軍に任命され、イングランド侵攻を指揮する計画でした。侵攻軍を編成するための資金として30万フラン(現在の金額で約2億4千万ポンド)が、フランスからオワインに支払われました。これは極めて本格的かつ潤沢な資金を擁する侵攻計画であり、オワインが出遅れたのは悪天候によるものにすぎませんでした。
このニュースはイングランド側に届き、彼らはこの脅威に迅速に対応する必要があると判断しました。1378年のある日、オワインはフランスのモルターニュ=シュル=ジロンドの城外で、イングランドの守備兵を攻撃する準備をしていました。その時、彼の使用人でウェールズ人のジョン・ラムという男がオワインのテントに入り、背後から忍び寄り、短い槍を背中に突き刺して彼を殺害しました。現在、イングランドのキュー(Kew)にある公文書館に保管されている当時の公式書簡によれば、イングランド側はオワインを暗殺するためにラムに20ポンドを支払いました(当時、弓兵の1日の給料はわずか4ペンスでした)。ラムは逃亡し、老後までイングランドで暮らしました。
これら全ての伝説(およびその他の多くの伝説)は、私の著書『ウェールズの伝説と神話: ウェールズ全土から集めた80の伝説と神話集』に収録されています。
ウェールズの素晴らしい歴史的な場所を訪れる場合には、カドゥ(ウェールズ政府の歴史環境サービスで、ウェールズで最も素晴らしい古代遺跡の数々を管理している)や、ナショナルトラスト・ウェールズを探索してください。ウェールズ全土からの神話や伝説についてさらに詳しく知りたい方は、「ランド・オブ・レジェンズ」のサイトをご覧ください。