ウェールズ北西部のグウィネズでのパブ巡り(そう、パブ巡りです)に、皆さんをお連れしたいと思います。

これは、ランドゥログ(Llandwrog)、ラニスティムドゥイ(Llanystumdwy,)、リスヴァェン(Llithfaen)、ネヴィン(Nefyn)の4つの村を巡る、4回の停車の旅です。それぞれの村に、素晴らしいパブがあります 。そうでなければご案内しません!私たちの専属ドライバーによると、全行程は合計25マイル(約40キロメートル)で、各停車地ごとの移動時間は平均15分です。車窓からは、海から山まで素晴らしい景色を常に楽しむことができます。

これらのすべての村には、いくつかの共通点があります。いずれも人口が約2,500人以下で、ウェールズの中でも最もウェールズ語を話す地域にあります。また、いずれも英国の中でかなり田舎の地域社会に該当しています。

地域社会の核を守る

それでは、実際にパブに足を踏み入れてみましょう。ここで地元の人たちと話し、素晴らしいウェールズのエールを味わいながら、別のことを学びます。近年、この4軒のパブは、閉店したか閉店の危機に直面していました。

ところが、驚くべきことが起こりました。4つの村全てで、住民たちが立ち上がったのです。彼らは、地域社会の鼓動を消してはならないと決意し、行動を起こしました。彼らは意見交換会を開き、資金調達の委員会を設置し、事業計画を立て、ボランティアを募集したのです。そして、ソーシャルメディアでキャンペーンを展開しました。

時には助成金を求めることもありましたが、ほとんどの場合、一般の人々に低価格で将来の株式を提供する条件で資金を集めました。そして、すべてのキャンペーンが、これらの歴史的なパブを購入し、協同所有へと前向きに移行させるために必要な資本を見つけ出したのです。

今日、これらのパブは全て、社会的企業になっており、地元の人々によって購入され、地元の人々によって運営されています。そして、それは、ウェールズ北西部の田園地帯のわずか8マイル(約13キロメートル)の半径内で4回も起こりました。

「場所の再生は、地域社会の再生、そして希望の再生を意味していました。」

ラニスティムドゥイの「タヴァン・ア・プリ(ザ・フェザーズ・イン)」を運営する委員会のミリアム・トレヴォールさんが、何が彼らを駆り立てたのかを語ってくれます。

「私たちは、歴史的な建物を地元の所有として維持することを強く希望していました。しかし、パブを購入するにあたっての、私たちのキャンペーンの決定的な要因は、それが村の唯一の社交の場であったという事実でした。これを失うことは、村のコミュニティ意識と文化にとって、大きな打撃となったでしょう。また、地元の人々の雇用を維持し、地元の供給者や企業を支援したいという思いもありました。それらはすべて実現されました。」

看板に「タヴァン・ア・プリ(Tafarn y Plu)」と書かれた木造のガーデン・シェルターの内部
タヴァン・ア・プリ(Tafarn y Plu)、ラニスティムドゥイ、グウィネズ、北ウェールズ

私たちが訪れる全てのパブについての話は驚くほど似ています。

「地元のコミュニティとして、誰かが何かの一員になれることは重要だと思います。」と、ネヴィンにある「アル・ヘリウ(Yr Heliwr‐ザ・スポーツマン)」のブレディン・エバンス氏は言います。村の中心の主要な飲み屋は、地元の住民が復活させるまで、4年間閉鎖されていました。

私たちのパブ巡りをしていると、あなたはもう1つの顕著な特徴に気付くでしょう。これらのパブは見た目は伝統的な飲み屋かもしれませんが、天井の梁からは歴史が染み出しているのを感じることができます。それらもまた、パイントやピッチャーをはるかに超え、ある意味、自ら進んでコミュニティ全体に奉仕しているように見えます。これらのパブは、「パブはハブ(pub is the hub)」という活動の体現であり、その存在が無ければ失われてしまっていたであろう重要なサービスや活動を、地元の人々に提供しています。週7日、あらゆる年齢や背景を持つ住民のニーズに応えています。

「パブが売りに出されていました。『自分たちで地元のパブを買ってみたらどうだろう』と私たちは思いました。この活動は、ますます順調に進んでいます。これがすべての村にとって、進むべき道であることに疑いの余地はありません。」

活気ある新しい機会の創出

翌朝、この小旅行で少し二日酔いが残ったと仮定しましょう。新鮮な空気が必要なので、南へ約20マイル(約32キロメートル)のブレナイ・フェスティニオグの霧の中へ向かいます。人口3,000人のこの町は、かつてのスレート鉱山の谷に囲まれています。近くにあるオークリー鉱山は、かつて世界最大の鉱山でした。しかし、今日では、あちこちに散らばる廃棄されたスレートの山から、産業衰退の様子を見ることができます。現在のブレナイ・フェスティニオグは、ウェールズ全体で住民一人当たりのソーシャル・エンタープライズ(社会的企業)が最も多い町になりました。

より広い渓谷に進むと、「クムニ・ブロ・フェスティニオグ(Cwmni Bro Ffestiniog)」の名のもとの、15の活気ある非営利事業のネットワーク運営に出会うことができます。これらには、ホテル、自転車公園、ヘルスセンター、映画館、放送局、宿泊施設、レジャーサービス、研修プログラム、そしてホームレスや障がい者への支援プログラムなどが含まれています。

クムニ・ブロ・フェスティニオグのケリ・カニントンさんは、自信を持ってこう述べています。「私たちの未来への責任は、そのほとんどが私たちの手に委ねられています。この地域には、文化遺産を基盤にして、環境的、経済的、社会的、文化的、教育的な未来を創造する有利な条件があります。私たちはその道を切り開き始めたのです。」

マウンテンバイクに乗って、山腹の下り坂でジャンプをしている人。
「パウブ・アル・ア・イン・レヴェル(Pawb ar yr un Lefel)」、敷石の歩道に埋め込まれたスレートに書かれている。
北ウェールズのグウィネズ、ブレナイ・フェスティニオグにあるコミュニティ・ベンチャーのアントィール・スティニオグ自転車公園とストリートアート

責任を担うコミュニティ

ウェールズで最も高い山であるアル・ウィズヴァ(Yr Wyddfa、スノードン)の岩だらけの外縁を進まなければならないので、ぐるっと回りながら北へ戻りましょう。30分ほどでペニグロイスに到着します。人口1,800人の小さな村ですが、古代ウェールズの神話や伝説が豊富なナントル渓谷の中では最大の村です。

ブレナイ・フェスティニオグと同様に、ペニグロイスも19世紀にスレート鉱山業を中心に成長しました。そして、ブレイナイ・フェスティニオグと同じように、ペニグロイスの地元の人々も、自らの手で問題に取り組むことで、脱工業化時代に対応してきました。

アントィール・ナントル(Antur Nantlle「ナントル・ベンチャー」)は、30年前に設立されました。この組織は、地域を経済的、環境的、社会的に発展させることを唯一の目的として、非営利でプロジェクトを運営し、助成金を獲得しています。100人以上を雇用する50以上の部署を管理しており、現在、地元の工業地帯の大部分を購入するための交渉を行っている最中です。

もし私たちが訪れるのがほんの数年前だったら、大通りにある有名な古い金物屋が空き家になっていたのを見たことでしょう。実際に廃墟になりかけていました。そこで、ボランティアが集まり、「コミュニティ共済組合(community benefit society)」を結成し、驚くべきことに90万ポンドを集めて、崩壊しつつあった建物を購入して修復し、「アル・オルサヴ(Yr Orsaf‐ザ・ステーション)」と名付けました。かつての金物店は、カフェ、宿泊施設、ゲストハウス、オフィス、若者向けのデジタルセンターに生まれ変わりました。また、敷地内では、いくつかの社会地域向けのプロジェクトも行われています。

数マイル下ったところにあるランドゥログには、私たちがパブ巡りで訪れたパブ「ティーン・ラン(Ty’n Llan )」があります。そして、スレートの斜面を上がっていくと、小さな村のア・ヴロン(Y Fron)があり、そこにはお店、バンクハウス(簡易宿泊所)、カフェがあります。お察しの通り、またしても地域社会がその運営を担っています。

地域社会の起業家精神が高まるウェールズ国内において、グウィネズは州全体として、予想以上の結果をおさめているようです。最新の公式な集計では、州内には128の社会的企業が存在するとされており、その総人口は約11万7,000人です。

コミュニティの伝統を再生する

ウェールズ全土で、同様のパターンが見られます。例えば、コミュニティ・パブは全国各地で見つけることができます。南ウェールズの渓谷には、同様の方法で社会的企業として運営されているディベロップメント・トラストの例が多数あります。そこには似たような背景があります。北部ではスレートを採掘しており、南部の渓谷では石炭が豊富でした。

オワイン・ウィン氏は、歴史ある城下町カーナーヴォンを拠点とする事業再生コンサルタントです。私は彼に、なぜこの様なことが起こっているのかを尋ねます。

「多くの場合、それはサービスの閉鎖、または閉鎖の脅威に対する反応です。そしてその原因は、元の民間事業が十分な収益を上げられなかったか、市場のニーズに応えられなかったかのどちらかです。これは特に、介護や医療サービス、食品、住宅、建設、観光、小売などの基礎経済に当てはまります。」

ウェールズでは、コミュニティ企業の伝統が何世紀にもわたって存在しています。この国のほぼすべての村にキリスト教の教会があり、これらは一般の人々によって資金提供され、建てられたものです。労働者協会、住宅金融機関、労働組合、スポーツクラブは、これを読んでいる皆さんが生まれた時から存在しています。社会改革者のロバート・オーウェンは、1800年代初頭に協同組合運動の先駆者となった人物で、彼もウェールズ人でした。

わかっているのは、今日のウェールズ全土の社会的企業はこの風習に基づいて構築され、現代のニーズに応えているということです。

「私たちの未来への責任は、そのほとんどが私たちの手に委ねられています。この地域には、文化遺産を基盤にして、環境的、経済的、社会的、文化的、教育的な未来を創造する有利な条件があります。私たちはその道を切り開き始めたのです。」

希望の場所

私たちと同じように、オックスフォード・ブルックス大学の研究者で、「希望の場所(Spaces of Hope)」という研究に取り組んでいるデビー・ハンフリー博士も、最近、ウェールズで最も有名な協同組合をいくつか駆け足で巡るツアーを開催しました。

「私たちは、彼らが建物の形状を変えて再生し、土地や公共空間を開発し、大通りを再活性化させ、閉鎖された学校やコミュニティ・センターを引き継ぎ、環境に配慮した交通機関やエネルギーシステムを導入し、新しい文化、レジャー、健康の拠点を作り出していることを知りました。場所の再生は、コミュニティの再生、そして希望の再生を意味していました。」

ネヴィンのパブ「アル・ヘリウ(Yr Heliwr)」に戻って、最後の一杯を楽しみましょう。ブレディン・エバンス氏はまだカウンターの後ろにいて、私たちにサービスを提供してくれます。

「ネヴィンの大通りはすっかり殺風景になっていて、パブが売りに出されていました。『自分たちで地元のパブを買ってみたらどうだろう』と私たちは思いました。この活動は、ますます順調に進んでいます。これがすべての村にとって、進むべき道であることに疑いの余地はありません。」

石造りのパブの外観。小さな庭があり、正面にベンチが置かれている。
「タヴァン・ア・ヴィク(Tafarn y Fic)」、リスヴァェン、リン半島、北ウェールズ

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