なぜウェールズの旗には赤いドラゴンが描かれているのか、またはそれがどのようにウェールズと結びつくようになったのか疑問に思ったことはありますか?その神秘的なはじまりから現在の使われ方まで、伝承について知っておくべきことを全てここでご説明しましょう。
物語は戦いで始まります
年老いた忠犬ゲレルトが, 主人から誤解を受けて殺されてしまう物語よりずっと昔べズゲレルト(地名)は、ヴォーティガンという男の行きつけの場所でした。彼は城を建てる場所を探しているケルト王であり、やがてディナス・エムリスの丘の中腹に気に入った場所を見つけました。
少年(魔術師マーリンであると信じる者もいる)がヴォーティガンに、彼が城を建てたいと思っている場所は2匹のドラゴンが眠っている地底湖の真上にあると忠告しました。
城の建設を開始するためにその地面を掘ると、ヴォーティガンの部下たちは、激しく戦う赤と白の2匹のドラゴンを発見しました。本気の取っ組み合いの後、赤いドラゴンが勝ちました。
これが意味したもの
赤いドラゴンはヴォーティガンの民を表していたという説もありますが、ジェフリー・オブ・モンマスは、これをアーサー王の出現の予言と考えました(奇しくも、アーサー王の父親の名前、ユーサー・ペンドラゴンは「ドラゴンの頭」と訳されます)。
これらの話は、全て神話や不思議のように聞こえるかもしれませんが、1945年のディナス・エムリスの発掘は、ヴォーティガンの時代に遡る湖と砦の証拠を示しました。やはり、ドラゴンは実在するのかもしれません…
ドラゴンと旗
ドラゴンは、4世紀にローマへと進軍する多数のイギリス兵の軍旗に現れました。これは後に、ローマ軍の撤退後に権威を示したいと思っていた5世紀のウェールズ王たちによって取り入れられました。
ウェールズがその旗を初めて公式に使用したのはおそらく、ヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒した、1485年、イングランドでのボズワース・フィールドの戦いでした。ペンブルック生まれのイングランド王は、ヘンリー7世として24年間にわたってイングランドを治めました。
私たちのドラゴン
ドラゴンは人気がいくらか衰え、1606年のユニオン・フラッグには使われませんでしたが、1959年、エリザベス女王は、「ウェールズの庁舎には緑と白の上に赤いドラゴンが描かれた旗のみが掲げられるべきである」と宣言しました。
今では、ウェールズのドラゴンは、バッジ、ボタン、バンパーステッカーや、国際試合で熱心なラグビーファンのフェイスペイントに見ることができます。これほど素晴らしい旗は本当に他になく、私たちは世界で一番だと誇りに思っております。